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今週の御言葉
「けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません」使徒20:24
メッセージのエッセンス:「走るべき道のりを走り尽くす」
高ぶりの反対は、自己憐憫や卑屈ではありません。それは謙遜です。そして自己憐憫や卑屈は、謙遜とは似て非なるものです。謙遜はキリストと結びつくこと無しに、身につけることはできません。キリストと結びつかないという意味において、高ぶりと自己憐憫や卑屈は、同類と言えるでしょう。この呪縛から解放するために、神の子である主イエスは最も低くなられ、謙遜とへりくだりの十字架の道を歩まれました。高ぶりやすく、自己憐憫になりやすい欠けだらけの土の器に、主イエスという宝を聖霊によって持つことができる幸いが福音なのです。