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「幸いな者として」

2019年12月29日 年末感謝礼拝 ルカ1:46-56

· 礼拝メッセージ

今週の御言葉
「主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うでしょう」ルカ1:4

メッセージのエッセンス:「幸いな者として」

 幸いな歩み、祝福されているとは、どういうことでしょうか。それは何か幸いなことがあった、ということではありません。一番の幸いは、主を畏れている歩みをしているということです。こんな自分を忘れず、あわれんでくださっている、もったいない、ありがたいなあと、主を畏れかしこむ思いを持っていることこそ幸いなのです。その信仰の勘所がずれていく時、不平や不満などの不協和音が出始めます。しかし真実な主を畏れることが信仰生活の土台にある時、主のあわれみに感謝せずにおれなくなり、賛美が溢れ出てくる歩みとなっていきます。

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